※第一回目のエッセイは、『ちゃーげんきだより』発行記念として、沖縄自然薬草センター(現・沖縄自然館ちゃーげんき事業部)のイメージキャラクターを務めていただいた、ジャズピアニストの屋良文雄さんと川畑の特別対談を掲載しました。
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自然のままに(夢とロマンを求めて)
ジャズピアニスト 屋良文雄(文末にプロフィール掲載)
(株)沖縄教育出版社長 川畑保夫
川畑(以下、川)「いつも新聞の広告に登場して頂いてありがとうございます。健康に関して何か不安をお持ちですか。」
屋良(以下、屋)「自然児だから何も不安はないですよ(笑)。」
川「自然に関する食事を始めて何年位になられますか。」
屋「30年は過ぎています。基地の中で仕事をしていて、大病を患ってからです。その当時、米軍基地内にはいろんなところからジャズミュージシャンが集まって5~600名はいました。何名かは国際的なバンドを作っていましたが、ジャズミュージシャンというよりは、職業ミュージシャンです。復帰してからは、職業プレーヤーだけではなく本当にジャズが好きな人だけが残っています。金はなくてもいい。飯なんか食べるだけあればいい。そういう人たちが残った。」
川「すばらしいですね。」
屋「35~6の時、同級生が社長になったり、いい地位に上ったりして、自分も迷った時期もあったけど、自分はこれで家族を食わそうと決めた。それから少し楽になった。」
川「生き方が決まってからは楽になられたのですね。」
屋「復帰してから生活が大変な時、いろいろ考えてしまった。米軍基地時代から残っているのは僕一人かな?でも好きなことを一筋にやるという人生はいいですよ。」
川「夢とロマンを求めて...。」
屋「金は欲しくないけど、時間は欲しいな。時間とは、自分が好きな事をするための時間ですからね。」
川「それが結局、屋良さんの自己実現ですね。」
自由になる
屋「僕のメンバーは皆、ひとつにこだわらずに琉球民謡をやったりクラシックをやったり、いろんな音楽をやったり、いろんな音楽をやっている。幅が広いのです。」
川「それは、沖縄文化というのが背景ですね。一つのことに捉われないということでしょ
屋「自由になるということですね。そうすると表現も自由になる。」
川「日頃の生き方が自由な生き方だからこそ、表現も自由になられるんですね。自分が楽しく幸せであることが、聞く人たちを明るい気持ちにさせる。人生と一緒ですね。屋良先生は、ナハマラソンも第一回からずっと参加されてますね。」
屋「健康のためにジョギングをしているのではなく、楽しいからジョギングしている。」
自然にそった食生活
川「食べ物は玄米を召し上がっていらっしゃるようですね。」
屋「人間そのものを考えれば、身体の構造から見て、何を食べればいいか自ずから分かる。人間の歯の中で肉を食べる歯は2本しかない。穀物を食べる歯が9割を占めている。長にしても、動物性の食物を食べる身体ではない。しかし、人間そのものは嗜好的に肉が好きですから、私も食べたい時は食べますよ。」
川「我々の小さい時は、盆と正月にしか肉は食べませんでしたね。」
屋「沖縄の人は豚肉を食べるので長寿県と言われていますが、長寿の人達の時代、豚肉はたまに食べていたのです。普段は食物繊維が豊富な芋や豆腐を食べていたのです。」
川「私も39歳の時、腎臓ガンを患いました。その時まで美食家で肉も卵もよく食べてい
屋「肉も卵も貧しい時代、人間の健康にいいとされてきましたからね。」
川「屋良先生は、お酒もタバコもお飲みになるし、睡眠時間も5~6時間だと聞いていますが、精神的に強いその秘訣は何ですか?」
屋「かなり食べ物には気をつけています。食べ物は全体を食べないと意味がない。魚も小魚などを頭の先から尻尾まで食べる。米にしても玄米は全てだから玄米にしています。」
川「おかずは食べていないのですか。」
屋「おかずは食物繊維の多い根菜類を食べています。無理をして食べているのではなく、身体が求めているのです。気分的にもいいしね。今日も頑張れるという自信が湧いてくる。」
川「時々、海外へ演奏旅行されますよね。玄米が欲しくなりませんか。」
屋「今はパックもありますので、旅行の時は便利です。」
川「禁煙の場所が多いですがそれはどう思われますか。」
屋「それはそれでいいと思います。禁煙のところでは禁煙します。先日もブラジルに行った時26時間禁煙しましたよ。でも、次からは絶対行きません。人間は自由ですからね。」
川「ウコンとウコン茶、百歳茶も飲んでいらっしゃいますよね。」
屋「はい。それがないと身体の調子が悪いですからね。」
川「これから先も夢とロマンを実現させるためにがんばって下さい。世界のジャズ大会を是非沖縄でやりましょう。」
プロフィール
屋良文雄(やらふみお)
1940年東京生まれ。6歳の時、両親の故郷、沖縄へ。大学生になりピアノを始める、と同時にプロとなり演奏活動を行ってきた。走るジャズピアニスト・市民マラソンランナーとしても知られている。









